エルサレム教会は、禁欲主義の下に財産を共有して生活をする一種の修道的な教団で、布教活動、ましてエルサレムを離れての活動には積極的でなかったと推測される。
しかし、ユダヤ教主流派による迫害を契機に各地に離散したヘレニスト(ヘレニスタイ:ギリシア語使用者)が精力的な伝道を展開し、ユダヤ人のみならず異邦人の改宗者が多数加わり、アンティオケイア教会が設立されて、一定の力を持ち始めるようになると、エルサレム教会側も黙っては見過ごせず、対外的な活動を余儀なくされたと思われる。かならずしもヘレニストではないと思われる新約聖書筆者もギリシア語で著述しているのはこのためと今日では考えられている。
アンティオケイア教会の後援で宣教活動をしたパウロは、異邦人改宗者に対して割礼、食物禁忌、律法遵守を免除したため、エルサレム教会から猛反発を受け、各地のキリスト教共同体で論争や分裂が起きた。
当初エルサレム教会の最高指導者であったペトロは、他の使徒とともに逮捕された。代わりに指導者になったのが、イエスの兄弟または親戚と考えられている「主の兄弟」ヤコブである。