ピューリタン
イングランドでは、ヘンリー8世が離婚問題を機に、カトリック教会から国内の教会を独立させイングランド国教会とした(1534年)。これ以降、イングランドでは、国王の交代の度に宗教政策がプロテスタントとカトリックの間を揺れ動いたが、エリザベス1世の治世において「中道政策」(via
media)が採られ、エリザベス朝ルネッサンスが開花した。これに対し、カルヴァンの影響を受けた改革派があくまで徹底的なプロテスタント改革を要求した。清教徒と呼ばれた彼らは政治的弾圧を受け、その一部は宗教的政治的理想の実現のために北アメリカに移民し、残りは国内で国教会から分離し、非国教諸派(長老派、改革派、バプテスト派、会衆派、クウェーカー派)を形成した。
清教徒は次のステュアート朝において清教徒革命を起こして王権を打倒し、一時的に共和国を樹立するが、結局王政復古する。しかし王権に対する議会の優位は決定的となり、名誉革命を経て「君臨するが統治しない」国王の下での議会政治という立憲君主制が確立して、その後の議会的重商主義、自由主義、産業革命、帝国主義に対応し得る政治環境を用意することとなる。